なんてことない世界

日々の出来事や思ったことをつらつら

何千人分の一時間

こんにちは。やかんです。

 

後期が始まってもう2週間。早くも次の長期休みが待ち遠しいです。

今日はこないだの話の続きです。

前回は登校中に起きたことを書きましたが,今回は下校中に起きたことを書こうと思います。

 

その日,私は普段通りJR神戸線を利用して下校していました。すると,行先が急に変更になりました。なんだろうと思っていたら,私が乗っている一つ前の電車が人身事故を起こしたみたいでした。起きたところはよく人身事故が起こる自殺スポット。JR神戸線は人身事故が多く,今までも登下校中に運転が見合わせになることが多々ありました。結局その日,地元の駅から新快速でいう一つ前の駅で約1時間,地元行きの電車を待っていました。

その間ふと思ったんですよね。いつもは人身事故が起こると,人が一人亡くなったとはいえ迷惑だなーとしか思いません。しかし,事故が起こったことやそれに迷惑する人々のことを俯瞰して見てみると,人の死って良くも悪くも色んな人に影響を与えるんだなって。人身事故で迷惑するときも,ニュースで行方不明だった人が遺体で発見されたって聞いたときも,駅近くの葬式上に喪服を着た人たちがぞろぞろ入っていくのを見たときも,アパートで高齢者が孤独死していたときも。他人からすると全く関係ないことでも,死亡した人のことは知らないけど偶然その場に居合わせた人,遺体を片付ける人,捜索隊,家族や友人,隣人や大家さん。人の死っていろんな人を悲しませたり,怒らせたり,動かしているんだな、と。関係ない人からしたら軽く見られがちな命でも,関わった人にはとても重い命として認識されるのです。

特に人身事故が周りに与える影響は絶大だと思いました。私のようにただ家に着くのが遅くなるだけなら全然かまいませんが,駅で電車を待っているときに隣にいた同い年くらいの女子大生が彼氏に「着くの遅くなる」って連絡していたり,リーマンさんがスマホを耳に当てながらぺこぺこ頭を下げていたりしているのを見て,人によってはとても大切な予定を人身事故はいとも簡単に狂わせることができるんだなと。

 

結局何が言いたいのかというと,命は大事だということです。「自分なんかに価値はあるのか」「死んでしまいたい」という気持ちになるときがたまーにあります。でも本当に自分が死んだら悲しむ人がいなくても,自分が死んだことによって迷惑する人がいるかもしれないと思うとなかなか簡単に死のうだなんて思えません。これは私個人の考えであって,自殺した人を非難したいわけではありません。自殺する人は周りのことなんて考えられないくらい苦しんで追い詰められているわけですから。ただ,周りのことが考えられる余裕がある状態なのであれば,自殺は絶対にするものじゃないと思いました。

 

なんか上手くまとまりませんでしたが,良くも悪くも自分はいろんな人に影響を与えたり与えられたりして生きている,自分の命にはそれだけの重みがある,ということを実感した出来事でした。

 

ではでは。