なんてことない世界

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トイレくらいひとりで行け

こんにちは。やかんです。

 

今日は最近問題になっているいじめについて書いていこうと思います。

 

神戸の小学校で教員が同僚にいじめられているというニュースがありました。

いい年した大人が束になって一人をいじめる…しかも激辛カレーを食べさせたり車の上に乗ったりとやってることもかなり幼稚。教師の質が落ちているという話を聞いたことがありますがまさかここまでとは。校長が気に入った教師を引き抜く(?)という神戸方式にも問題はあると思いますが,これはさすがにひどい。一生懸命真面目に仕事をしている先生方がお気の毒です。

教員の採用倍率低下によりちゃんとした人でなくても採用されてしまう,教員は教育機関上がりで一度も社会に出たことがない人が多いなど,そのあたりにも原因がありそうですが,それを解決するためには現在の教育方針の改革やモンスターペアレントを減らすことなどが大切だと思いますね。

 

まあ一番言いたいのはいじめのことなんですがね。

今回のいじめ問題について思ったのは,「集団で」いじめが行われていたということ。

いじめは集団によって行われることが多いです。「集団でかたまっていることにより自分が強くなったように錯覚しているだけ」「いじめをするやつは弱い」などということをよく聞きます。本当にその通りだと思います。気に入らない人がいるなら一人で勝手に嫌っていればいいのに他人を巻き込み,気に入らない人にわざわざ自分からちょっかいをかけに行く。いじめをしている人って「私は誰かを嫌うことさえ一人でできない無能で臆病者な上にかまってちゃんで暇人です」って自分で言ってるようなものですよね。

 

人間なので嫌いな人や苦手な人がいてもいいと思います。ただその人に嫌がらせをするのはどうかと思います。嫌い嫌いと言っておきながらなぜ関わろうとするのか謎です。私は気に入らない人がいるのであれば,その人と距離をとればいいだけだと思います。どうしてもその人のことを理解できないときや理解できても納得できなかったときだけですが。まあ苦手な人に無理に関わりに行く必要はないですけどね。あくまでも関わる機会があればちゃんと相手のことを見るのが大事だということです。

 

いじめの原因について考えてみました。まず日本人は「みんなで」とか「和を重んじる」とか日本特有の風習にとらわれすぎなんですよね。集団を意識しすぎて,個々人が自立していないことが「集団でしか行動することができない」「誰かといないと不安でしょうがない」という人を多くしているんだと思います。集団いじめが起きる原因のひとつはそれだと思います。

また,最近は日本人が周りとの調和を重視しすぎているということが問題視され,多様性が大事なんて謳われていますが,それができていたら集団でのいじめなんてそんなに起きていないと思います。そもそも多様性というか新しい考え方にシフトしろって強要されているようにしか思えません。で結局,多様性とは真逆の結果になってしまう。根本が何も変わっていないんですよね。この調和を重んじる文化が,周りに流されずに自分の意思を貫いている人を苦しめるんだと思います。「あいつは空気が読めない」「協調性がない」などなど。(そもそも「みんなで仲良くすること」=「協調性がある」ということではないと思いますが)そして厄介なことに,いじめをする側は自分が正義だと信じ込んでいるため異端者である被害者を悪として捉えてしまいます。そして排除したり粛清しようとしたりする。俯瞰してみると「いじめ」という行為自体が悪なのにそれに気づかずにやってしまうわけです。いじめ加害者に「なんでいじめたの?」って聞いたら「被害者に原因があった」と主張するのがこれですね。このようにいじめられる側にも原因があるなどと被害者を非難する言葉をよく耳にしますが,私はそんなことはないと思います。いじめる側が100%悪いです。いじめをしないという選択肢があるのにもかかわらずいじめてるんですから。

 

今回の問題は何が正しくて何が悪いのかを考えられる脳みそがあり,かつ共感能力が十分発達しているはずの大人がいじめ行為を行っていました。正直ありえないと思いました。この問題から,周りに流されずに自分で考えていくことが大切だと改めて感じさせられました。また,被害者の先生が一日も早く復帰できることを祈っています。

 

なんか文句言ってるだけみたいになってしまいました。申し訳ございません。

そして関東の方々,台風には十分お気をつけください。

ではでは。